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クリスマスに武士に会いに行く。

強いブランドであり続けるためには何が必要なのか。
多くの作物にその工夫が記されているが、血の通った言葉からそれを探りたい。とりわけ、世の流れに焦らず、阿らず、それを貫き続けている人達のリアルな言葉を聞きたい。
ザ・ペネトレイター。「貫く人」の意を込め名付けた。
世の中に訴えたいことが何もない二人のプランナーが、貫き続けている人々にその極意を訪ねて回る、ハードボイルド・インタビューエッセイ。
記念すべき第一回は、「弓馬術礼法小笠原教場三十一世宗家嫡男 小笠原清基」さんだ。

「若」と呼ばれる男-

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「武士」というものは、物語の中でしか見ることはできない。私などは、浅くは暴れん坊将軍、深いところでもせいぜい司馬遼太郎を読み散らした程度にしか知らない。
武士に対しては結局、いくつもの想像が混ざり合った偏った人間像を空想するしかないわけだが、そのような人種はもうこの世にいないのだから仕方ない。

平成二十八年。暮れ押し迫る十二月二十五日の日曜日、私と高崎はその「武士」に会いに行くべく、クリスマスソングも賑やかな新宿より、京王線に乗った。

弓馬術礼法小笠原教場三十一世宗家嫡男 、小笠原清基-。

小笠原流とは、初代小笠原長清に始まる清和源氏の家系で、初代は源頼朝の糾方 (きゅうほう。礼法・弓術・弓馬術を指す)師範となった人である。以降、鎌倉から江戸にかけ、将軍家の師範であり続けた家系だ。
将軍家といえば、頼朝に限らず徳川家康 や慶喜といった「教科書に絵で出てた人」を代々教えてきたわけだ。暴れん坊将軍にも教えたのだろう。
日本が世界に誇る武士の行動や思考の規範を作った家柄なわけだから、現代日本人の基礎は小笠原流によって形作られたといっても言い過ぎではない。

その宗家嫡男が小笠原清基さんなのだ。
門人からは「若」と呼ばれている。
例えば、大きな神社にて流鏑馬神事をご覧になった方がおられるかもしれない。多くの目に触れる分かり易い機会を具体的にいうと、それらを執行されている人である。

そんな人間を、身近にお目にかかったことがない。
なんだかもう、ものすごいのだ。

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徳川の時代から受け継がれる「小笠原流弓馬術」の流鏑馬(やぶさめ)。疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射の儀式。

威光に震える我々がお邪魔したのは、世田谷区にある「教場」と呼ばれる場所。文字通り、小笠原流の礼法・弓術・弓馬術を教える場である。
訪いを入れると、清基さん自らにお迎えいただいた。

私が勝手に空想していたような荒武者然とした趣はみえず、清基さんは、穏やかで、質朴とした雰囲気を感じる人だ。
そして、男前である。
驚いたのは、その掌の大きさと厚さだ。いかにも強靭で、弓を取るという行為の物凄さの一端を知った思いがする。
そのまま教場をざっと案内していただいた。清基さんの身ごなしは、なにやらひどくゆったりとしてみえるのだが、不思議なことに動きそのものが遅いというわけではない。こういうのを無駄がないというのか。
大きくて逞しい掌とゆったりとした無駄のない動き。相容れない要素が矛盾なく同居しているような不思議さを感じる。

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教場に置かれる歴史を物語る数々の弓や鞍。天災や戦難に逢いながらも、武家文化時代の貴重な品々が保存されている。

小笠原流宗家嫡男という決断—

清基さんは、弓矢漬けの生涯を送ってきたわけではないそうだ。
「中学の頃は、陸上部で短距離を、高校ではバレーボールをしていました」と意外な返答である。学生生活での弓術との関わりについて聞くと、「大学は弓道部に入りました。ただ、大学の弓道部で教わることはなさそうだと感じ、むしろ小笠原流の行事が多くなってきたこともあり、弓道部は1ヶ月で辞めました」と、穏やかな声音で笑った。清基さんのことは大学入学前から学生の間で知られていたそうで、まさに鳴り物入りの入部だったろう。結果としてほどなく辞めたというが、その背景には、家業に邁進するための大きな決断があったようだ。
「大学に入るまでは、小笠原流ではなく実生活を優先していました。大学に入る際に小笠原流をしっかりやろうと決断し、そこからは稽古に没頭しました。そうなると付き合いが悪くなり、知り合いも減っていきました」大学時代は大阪の地で一人暮らしをしていたそうだ。ストイックな暮らしぶりが想像される。
都会での一人暮らしといえば、多くの学生は不用意に浮かれ果てることだろう。

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木馬にて体幹を使った基本姿勢に四苦八苦する高崎。思わぬ強い負荷に震えながらもピンと四肢を張るその姿は、冬曇りの空から落ちてくる雪の結晶のひとひらのように、可憐で心細げだ。

同行した高崎は、今でこそ沈毅な性格と着実な職務遂行能力により、不動産・金融・高級輸入車からファッション、日雑品まで幅広い商品のブランディングを担っているが、その大学時分は、御多分に洩れず、クラブに毎夜のように入り浸り、パーティをオーガナイズしていたタイプの人間であった。ついでに言うと、クラブ「DAWN」にて彼とそのユニークな仲間連中が立ち上げた「オオサカスカンキンナイト」は、およそ20年たった今でも続いている。これもまた末永く貫き続けられることを願うばかりである。

話が逸れた。

大学当時の清基さんの決断には、「自分でやると決めたことはやり通せ。それが幼少の頃からの教育でした」という小笠原家の思想が息づいている。
誰もが思うことだが、実践できる人は少ない。生半可な覚悟ではできない。
曖昧な過去の記憶を手繰り、生涯で何もやり通したことのない事実を再確認した私は、思わず伏し目がちになる。

家業を生業としない結果生まれた「理系男子」—

大学時代に大きな決断をされた以降、小笠原流に没頭する生活に入る清基さんだが、彼は今、製薬会社にお勤めで、薬の研究をしている。
意外な感じがするが、彼はサラリーマンなのだ。
「明治以降、二十八代清務が家業で生計を立てないという家訓を作ったんですね。それは弟子を取ることで無理や妥協が生まれることを避けるためでした。そこで二十八、二十九、三十代は教員になり、父である三十一代は公務員、そして私が民間。民間企業勤めで理系なのも初めてです」 パソコンと向き合い、癌の薬のモデルを設計する日々なのだそうだ。

稽古着姿の清基さんからはまったく想像ができない一面だ。
「会社では組織の下の方、小笠原流では教える立場。立場の違いは常に意識し、切り替えるようにしています」と答えてくれた。組織の長としての視点を持ち日々業務に取り組む部下の存在。全くもって頼もしいと同時に、一介の中間管理職に過ぎぬ私としては、考えるだに恐ろしいことである。

「武士を貫く」ということ–

このインタビューは、「どうやれば貫き続けられるか?」を主題にしている。
八百年あまりそれを続けている小笠原流に、その秘訣を尋ねたいわけであるが、清基さんご自身が「理系男子」という一面を持っていることにも、そのヒントがあるように思える。
清基さんは言う。

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世田谷区芦花公園近くにある弓馬術礼法小笠原教場。厳粛な空気に満ち、心身を鍛え、整えるにふさわしい空間だ。

「小笠原流には、変えない芯があります。そして、時代に合わせて末節を変えていくのです。芯とは、考え方の事を指します」
「例えば、椅子は明治以降の文化ですが、畳ではなく、椅子に座る時のお茶の出し方は変えます(冒頭で触れたが、お茶の出し方も小笠原流で教える礼法の一つだ)。末節とはそういうことです。こう動きなさいというマナーではなく、ある考えがあり、その元で動きを考えていくと、おのずと形が決まってくる。そして時代に応じた末節の判断をする。すると、環境が変わっても臨機応変に対応できるようになる。それが小笠原流なのです」 伝統に盲従する末に、世の趨勢が見られなくなり滅んだ日本の伝統文化は多いという。小笠原流ほど長い伝統を持つ文化が、その憂き目に遭わず、今でも強い光を放っているのは、その確固たる芯と、同時に持つ柔らかい時代感覚に因るところが大きいのだろう。
「流派で稼がないから、民間の柔軟な視点も持てている。それによって、日々生活する中で、お山の大将にならず、小笠原流はどうやっていけば良いのかが見えてきます」 芯と末節という冷静な考え方は、この家業に縛られていない環境によって得られるところも大きいように感じた。

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中央の写真は、弓の稽古をする江戸幕府15代将軍徳川慶喜公、その隣は海外での流鏑馬執行や国内外での礼法の普及啓蒙につとめる三十一世現宗家 小笠原清忠(きよただ)。左の札は、800人の門人の名を記したのものの一部。

「なぜ貫けるのか?」この疑問について清基さんは、もう一つ教えてくれた。

「武士が命を懸けてつくり上げてきた動きや考え方は非常に完成されていると思います。西洋の文化が流れ込んで出来上がった現代社会にも、かえって昔武士がやっていたことに近づいている部分がある。だからこそ我々がやってきたことは、世界から見てもむしろ尊敬されることだと思います」
またこうも言う。「自分たちが伝えてきたものは、誰にも負けない、そういう思いはある。例えば数多あるその他流鏑馬とは、全く違う」
武士という言葉をこれほど自然に使う人に私は会ったことがない。それは新鮮な驚きであった。同時に、その言葉を口に出す時にひしひしと感じる強烈な矜持。本インタビューで最も震える言葉だったと思う。

「貫く」ためには、芯と末節を意識し、理解し、行動することが必要だ。ただしそれだけでは不十分で、己の信じた事や背負った運命に対する強い自負が土台にあって初めて、成る。
「何百年も伝わってきた歴史には、非常に多くの人が関わり現代にまで残っているわけです。そのようなものに価値が無いわけが無い。それを一人でも評価する人がいれば、より多くの人に知ってもらうことで、必ず大きな評価が得られるはずです」 あくまで穏やかに話す清基さんだが、その言葉の一つ一つは重い。

インタビューのあと、清基さん自らが弓を引く姿を拝見する機会を得た。

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先ほどの穏やかな雰囲気とは変わった張りつめた空気の中で清基さんは、ごく自然な動作でゆったりと矢を放っていく。

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流鏑馬の稽古中の清基さん。木馬の上での単純な稽古に見えるが、走る馬の上でも上半身が動じない強靭な足腰が必要になる。この鍛錬が、馬を駆けさせながらでも華麗に的を射抜くことに繋がっている。木馬で型ができていれば、馬でも同じことができると、ここでもブレない一面を垣間見ることができた。

日本の男子として生まれたならば(いや、もはや日本も男子も関係ないと思うが)ほぼ間違いなく痺れるであろうその勇ましく、清冽な姿は、八百年間貫き続けた小笠原流の伝統を最も端的に表現しているようで、とても美しく感じられた。

小笠原教場についてご関心の方は、こちらのサイトをご覧いただきたい。

小笠原流サイト
http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/
小笠原流・若日記
http://ogasawararyu.blog32.fc2.com/

執筆者紹介
sasaki

佐々木大補
I&S BBDO
コミュニケーションデザイングループ
ディレクター

取材と記事。色々なことをやっています。

takasaki

高崎敦士
I&S BBDO
コミュニケーションデザイングループ
コミュニケーションプランナー

取材と記事。滋賀県長浜市(旧浅井町)出身。不動産・金融・高級輸入車からファッション、日雑品まで幅広いクライアントに従事。

 

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