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CREATIVE

Track #1:ZEEBRA「俺は東京生まれ HIP HOP育ち」- 脳を揺さぶるパンチラインの秘密

Intro:”Punch line knock you out!!” 言葉で脳を揺らす=パンチラインってなんぞや?

「Don’t u call this a regular jam/ I’m gonna rock this land/ I’m gonna take this itty bitty world by storm/ And I’m just gettin warm」(これをありきたりな曲なんて呼ぶんじゃねー この国を震撼させ ちっぽけな世界を嵐に巻き込んでやる こちとらもう準備は出来てんだよ*) from 「Mama said knock you out / LL Cool J」 *筆者訳

Punch line(パンチライン)とは?

それは一般的には「(ジョークなどの)聞かせ所、さわりの言葉、おち」を意味する単語。しかし、ことヒップホップにおけるラップミュージックにおいては、最大の”見せ場・聴かせどころ”であり、聴いた人間の脳天を揺さぶるような、心に深く突き刺さるリリック(ラップにおける歌詞)を指すものです

偉人や賢人たちの金言、小説や詩の中の一節、映画や舞台の中での台詞、はては広告のコピーまで・・・世に数多ある人々の心を掴まえた言葉と同じく、一級のラッパーたちが吐いたパンチラインは、なぜ人の脳天を揺さぶり、心を魅了して離さないのか。そんな謎に迫るべく、レペゼンI&S BBDOの(ブラックミュージック担当兼)プランナーが、独断と偏見と愛に満ちた視点で、名パンチラインを邦洋を問わず取り上げ、ラッパーや曲の背景に広告・マーケティング的な視点も”気持ち”織り交ぜて、紹介・考察していきたいと思います。

名付けて、Admen Wit Attitudes向け連載企画「Punch Line knock you out!!」。それでは早速Let’s get it on!!

Verse1:日本で一番有名なパンチライン?!「俺は東京生まれ HIPHOP育ち」って?

リリックはコチラ

「俺は東京生まれHIP HOP育ち 悪そうな奴は大体友達 悪そうな奴と大体同じ 裏の道歩き見てきたこの街〜」

記念スベキ第一回目で取り上げるパンチラインは?

タイトルにもあるように「Grateful Days / Dragon Ash featuring Aco, Zeebra」(1999年)からです。ラップミュージックとしては、初めてオリコン1位にも輝いたこの曲も、発表からもう15年以上が経過し、誰の曲かも知らないジェネレーションネクストたちもチラホラ(恐ろしや)。しかし、ヒップホップに興味のない方でも、もしかしたら一度は耳にしたことがある、日本で一番有名と言っても過言ではない、もし仮に”にっぽんのパンチライン百選”なるものがあれば、Top3はマチガイナイパンチラインです。これを世に送り出したのは、今や社会現象にもなっているフリースタイルブームの火付け役、テレビ朝日の「フリースタイルダンジョン」や、日本初の24時間日本語ラップ専門ラジオ局「WREP」のプロデュースでもお馴染みZEEBRA、通称ジブさんです。

現在の「フリースタイルダンジョン」や「渋谷サイファー」、量産されるラップコンテンツによる企業コミュニケーションなどに代表されるブームは、日本における第三次ラップブーム*ですが、ZEEBRA自体はK DUB SHINE、DJ OASIS共に”キングギドラ”として第一次ラップブーム*の1993年から活動し、ソロ活動に移行してからも、最前線で日本におけるヒップホップシーンを牽引しているラッパーです。そんなZEEBRAがfeatという客演ながら、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったDragon Ashを圧倒する、インパクトを残したこのパンチラインが、与えた影響と何故ここまで受けたのかを、もう少し考えてみたいと思います。

 

*筆者による定義:いとうせいこうから、LBやさんピンCAMPの面々による、日本語ラップ黎明期からシーン誕生までの80年代後半から90年代中盤を第一次。Dragon Ashやm-flo、ケツメイシ、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEなどのラップミュージックが音楽チャートを賑わし、メジャーレコード会社によるラッパーの青田買いやDef Jam Japanが設立され、THA BLUE HERBやGAGLE、OZROSAURUSなどに代表される東京vs地方という対立構造の顕在化、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDや韻踏合組合、妄想族やMSCなどのクルーが代表するアングラシーンも隆盛した、90年代後半から00年代中盤を第二次。そして、第二次後半にアングラで活躍していたラッパーのメディア露出増加、KOHHやSALU、SIMI LABやFla$hBackS、THE OTOGIBANASHI’S、KANDYTOWNなどの次世代ラッパーによるスキルとスタイルの多様化と向上、フリースタイルブームやアイドルラップの勃興による、シーンの拡張が行われている10年代から現在までを第三次と定義。

Verse2:”ヒップホップ=悪そうな奴”  シーン拡充のため、不良的側面へのフォーカスを試みたパンチライン

「俺は東京生まれ〜」が与えた影響とは?

この曲自体は第二次ラップブームの代表曲であり、当時の日本語ラップシーンに与えた影響はアンチ・シンパも含め大きく、ブームの火付けに留まらない、エポックメイキングな作品だったと思います。当時、歌番組などでこの曲を知って、ラップやヒップホップというものに興味を持った方も多かったのではないでしょうか(1986年生まれの筆者もその一人)。そして、このパンチラインが与えた最たる影響とは、ヒップホップにおける不良的・アウトロー的な側面、つまり”ヒップホップ=悪そうな奴のもの”というイメージを世間一般に根付かせたということではないでしょうか。

既に「DA.YO.NE」や「今夜はブギー・バック」など、ヒットしていたラップミュージックの”ソフト”なイメージに対するカウンターとして、”ハードコア”なラップミュージックの側面が世間一般に広く認知されるきっかけとなったと思います。もちろん、以前からヒップホップという文化が隆盛する経緯の中で、内包してきたアウトローとしての不良的側面を強く意識したメッセージや楽曲は多くありました。その最高潮が、96年に行われた伝説的なヒップホップイベント、「さんピンCAMP」での「J-RAPは死んだ!俺が殺した!!」というECDの宣言だったと思います。ただ、それは一つのシーンの中での話であり、世間一般の意識に根付いたというところまでではなかったと思います。そういった背景も踏まえ、何故ZEEBRAが不良的側面を切り出したのかというと、「さんピンCAMP」以降にラップミュージックが世間一般に触れるチャンスだと「Grateful Days」を捉えおり(下記、引用①より)、ヒップホップシーン全体の拡充を意識(下記、引用②より)したものだったからという訳です。

①:「実はノリエガ(筆者注:90年代後半から”Capone-N-Noreaga”として活躍し、NYとLAの東西抗争を巻き起こしたUSのラッパー)の影響なんですよ。ノリエガってすごいクセあるじゃないですか。それをオリコンのチャートに入るような王道の曲にして聴かせるっていう狙いだったんです」(ユリイカ2016年6月号 特集=日本語ラップ P45より)

②:Zeebra:「俺たち世代のヒップホップシーンは足りないものだらけだったじゃん。だからみんな率先して「ここは俺が補おう」「じゃあ俺はここやるよ」みたいな感じだったよね。」

宇多丸:「うん。特に俺とジブさんの活動スタイルは両極だと思う。俺らライムスはヒップホップシーンの内側と外側のちょうど境界線を行き来するようなところにいて、「ヒップホップとはどういうものか?」っていうのをなるべくわかりやすい形で世の中に伝えるような活動をしてた。一方でジブさんは「Mr.DYNAMITE」以降からヒップホップの不良性という部分で象徴的な役割を自ら担うようになった。「東京生まれヒップホップ育ち」っていうあのラインだって、あえてわかりやすくそういうイズムを提示してみせたわけでしょ。」(人間交差点2015 開催記念対談 宇多丸×ZEEBRA 日本語ラップの来し方行く末 http://natalie.mu/music/pp/rhymester05/page/2)

そして、このパンチラインや「Grateful Days」後に、ZEEBRAがリリースしたアルバム「BASED ON TRUE STORY」(オリコン3位を獲得し自身最高のヒットとなった)などを初めとした、不良的側面を強調したアプローチによって、リスナーたちはヒップホップの不良的側面をそのまま、もしくはそれを入口に、他の側面をより深掘りしていくこととなったのです。その結果として00年代に入ると、日本の各地方に根ざしていた独自のヤンキー文化と、ヒップホップ由来のストリートや地元密着志向とも相まって、単なるアメリカ文化としてのヒップホップを輸入・模倣しただけでない、独自の成長を遂げた、不良的側面に限らないオリジナル性がさらに加速度的に高まっていったと思います。この流れが第二次ブームの後半に、大きな影響を与える結果となりました。また、池袋ウエストゲートパークシリーズに代表されるカラーギャングなどの文化にも、ヒップホップにおける不良的側面は大きな影響を与えたと思います。

このように、このパンチラインが与えた影響としては、”ヒップホップ=悪そうな”イメージの世間一般への定着とシーンの拡大という面です。余談ですが、曲自体のコンセプトやZEEBRAの後半のリリックにも登場する”感謝”というキーワードは、後に「ラッパーは感謝しすぎwwww」と揶揄される程エピゴーネン的な作品が量産されることにも影響を与えました。

Verse3: 人々が受容し転用したいと感じた”言語センスとヒップホップ的アティチュード”

「俺は東京生まれ〜」が有名になった3つの理由とは?

以上が、このパンチラインがシーンへ与えた影響というお話でしたが、これだけではただの局地的なシーンにおける役割のお話でしかありません。大事なのは、この「俺は東京生まれ HIPHOP育ち」というパンチラインが、何故ここまで有名になり、人々の間で独り歩きするまでになったのか、ということだと思います。それには下記の3つのポイントがあるのではないでしょうか。

  1. 曲自体がヒットしたから
  2. フレーズとして面白かったから
  3. レペゼン文化というアイデンティティ主張がウケたから

それぞれブレイクダウンして、見ていきたいと思います。

1.曲自体がヒットしたから

まず、これに関しては言うまでもなく、曲自体がトリプル・プラチナを獲得して、単純に人の耳に触れる機会が多かったということです。いわゆるザイオンス効果というものでしょうか。

2.フレーズとして面白かったから

やはり「東京生まれ」までは普通なのに、「HIP HOP育ち」という、二度聴き必須の言語センスによるギャップが、パンチラインとしての威力を高めているのだと思います。HIP HOPという概念もままならないリスナーたちに向かって、東京と対になるべく地名が来るべき位置に、HIP HOPなるカルチャーをガンと持ってくるあたりのZEEBRAのセンス。「俺はHIP HOPカルチャーに育ててもらったんだ」という感謝の気持ちを表していると読めるのですが、一般リスナーにとってはそんな読みよりも単純に、HIP HOP育ち」という響きの異様さが先行したのではないだろうかと思います。まさにkjのリリック通り、挨拶代わりのkick down一発です。

また、次に襲いかかる「悪そうな奴は大体友達 悪そうな奴と大体同じ」というパンチラインは、愛や恋だ、「だんご」や「日本の未来はwow wow wow wow」だと、カオスだった99年のヒットチャートにおいては、「次はなんだ、不良アピールかよ、おい」「しかも大体かよ!」と再度ツッコミを入れたくなること必須だったと心中をお察ししてしまいます。99年当時はノストラダムスもびっくりの世紀末感だったに違いありません。

そして、さらにこのパンチラインの面白さは、パロディをしやすかったという側面もあったと思います。「東京」や「HIP HOP」など、その後に続く言葉を自分なりにアレンジすることで、自分なりのリリックに変えやすかったということです。これは「DA.YO.NE」に対して「SO.YA.NA」「DA.BE.SA」など、各エリアに応じたアンサーソングが登場した流れにも共通している点だと思います。ちなみに筆者の記憶では、明石家さんまがTVで当時しきりに、このパンチラインをアレンジして言っていたのが印象に残っています。

3.レペゼン文化というアイデンティティ主張がウケたから

②がフレーズとしての面白さという表層的な側面についてですが、こちらについては、どちらかといえば精神的な側面だと思います。それは、ヒップホップの持つレペゼン文化という独自のスタイルによる、自分が自分であることを誇るアイデンティティ的主張が当時新鮮であり、また、受容されやすかったということだと思います。レペゼン=Represent、つまり「代表する」という意味から来ているこの文化は、自分の出自に自信と誇りを持って、自らを主張するというものですが、何故、この受容度が高かったのでしょうか。

話を少し本質的なところまで掘り下げます。ヒップホップにおいては、ラッパーだけでなく、ダンサーやDJなどもお互いのスキルを競い合う「バトル」という文化があります。これはヒップホップの出自や歴史的背景から、成り上がるためには「自分のスタイル(=主義)を主張」し、「自分のスキルを証明」することが常に要求されてきた、という経緯からの成り立ちです。そこにおいて、レペゼンというのは、大いなる自己肯定的な役割を果たしていました。自分のスタイルやスキルを示す際に、確固たる自我と自信をもっている印のようなものです。自分をレペゼン出来ないことは、自己を否定することに繋がります。要するに、胸を張って「俺はこういう奴なんだ!!」と言えない(レペゼン出来ない)奴は、ヒップホップにおいては価値のない存在、と見なされかねないのです。逆に言えば、しっかりと自分をレペゼンすることができれば、周囲は認めて受け入れてくれる。だからこそ、皆が頑張って各々のスキルを磨く、人とは違うオリジナルなものを探す、という循環が生まれているのです。

そして、このヒップホップにおけるレペゼンという行為が、当時問題を抱えていた人や似た趣向性を持っていた人にとっては、取り入れたいものだったのではないのかと思います。自分のルーツや育った環境、仲間といったものが、今の自分を形成したものであり、それを「レペゼン」することで、アイデンティティを確認し、それを主張・肯定するという行為は、若者のアイデンティティ・クライシスへの救済措置であり、ヤンキー文化(また、現代のマイルドヤンキー文化にも)に存在する地元・仲間意識への後押しであり、国旗国歌法が成立し、非正規雇用社員の増加し始めた1999年という閉塞的な時代を生きる人間への特効薬でもあったのではないでしょうか。

「俺は東京生まれHIP HOP育ち 悪そうな奴は大体友達 悪そうな奴と大体同じ 裏の道歩き見てきたこの街〜」というパンチラインには、そのようなレペゼン文化によるアイデンティティ主張が色濃く出ており、その精神的な側面も、人々に受け入れられ、有名になった一因だったのではないかと推察するのです。

Outro: パンチラインはラッパーがいる限り尽きることはない!

と、色々と捏ねくり回してみしたが、記念スベキ第一回は、日本語ラップシーンを黎明期から牽引し、今なお最前線で活躍しているZEEBRAのパンチライン「俺は東京生まれヒップホップ育ち」を取り上げました。一見すると、その特異な言語センスにフォーカスが当たりますが、ヒップホップシーン全体を見据えた、大局的な視野をその裏に隠しつつ、レペゼン文化によるアイデンティティを誇示し、ヒップホップにおけるアティチュードをしっかりと体現した、歴史に残るパンチラインだったと思います。

今や日本語ラップ有史以来のラップバブルだと騒がれておりますが(過去にもEAST END×YURIYOU THE ROCK★、かせきさいだぁTHA BLUE HERBなどがCMに起用されてお茶の間の沸かせていましたが)、人々の脳天を揺さぶり、心に刻まれるパンチラインを吐くということは、昔も今も変わらないラップのテーゼの一つだと思います。ラッパーがいる限り尽きることない、パンチラインの旅。今回はこのあたりで。それでは、Next Punch lineまでしばしのInterludeを、peace out!!

 

〈参考資料〉

  • LEGENDオブ日本語ラップ伝説/サイプレス上野、東京ブロンクス
  • 私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ/リアルサウンド編集部
  • ヒップホップ・ジェネレーション/ジェフ・チャン著、押野素子訳
  • ヒップーアメリカにおけるかっこよさの系譜学/ジョン・リーランド著、篠儀直子+松井領明訳
  • サイゾー2016年6月号【ニッポンのラップ/北朝鮮「核」の経済学/ネットで自撮りを晒すJKたちの”自意識”】
  • ユリイカ2016年6月号 特集=日本語ラップ
  • その他、貯蔵する楽曲やライナーノーツ、ヘッズのマイメンからの情報、当時のシーンの思い出などを頼りにしてる部分もあります。なので、記憶違いや事実誤認、解釈の相違などあれば、お手数おかけしますが、ご一報頂けると幸いです!真っ赤な目をして、全力でご対応させて頂きます!!

執筆者紹介1
冨田 浩一郎
I&S BBDO
コミュニケーションデザイングループ
ヘッドラインプランナー

福岡生まれ HIPHOP育ち。ソウルミュージック研究会を経て2012年BBDO JWEST入社。2016年より現職。これまでに2016年広告電通賞、2014年ADFEST Intaractive Loutus Silver、AD Stars Film Crystal、YouTube Rewind2014 カーカテゴリーTOP2などを受賞/選出される施策のPRを担当。パンチラインではなく、ヘッドラインになるような企画を立案する、というミッションのため日夜精進しております。ただ、最近は光栄にもこんなところのリリックのお手伝いもさせて頂きました。

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